イースタン航空401便事故 1個の豆球切れが墜落事故を呼ぶ

1972年12月29日夜、イースタン航空401便(ロッキードL1011、通称トライスター)はニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を現地時間の21時20分に離陸、マイアミ国際空港に向けて順調に飛行していた。操縦をしたいたのは副操縦士で、機長は飛行時間約29000時間という超ベテランだった。1966年3月4日に東京の羽田空港で着陸に失敗したカナダ太平洋航空の機長も約29000時間の飛行記録を持ていたが、この事故もベテランが起こした大事故になってしまった。

401便は順調に飛行を続け、マイアミ国際空港のILSと呼ばれる誘導電波に乗って降下を開始した。401便は副操縦が操縦していたため、着陸に際して機長が脚下げレバーを操作した。通常は脚が降りてロックしたことを示すグリーンのランプが点灯するはずが、前脚のランプだけが点灯しなかった。機長は着陸をやり直すことを決断し、航空機関士に床下に潜り込んで脚が正常に降りているかを確認させた。その結果前脚そのものの異常ではなく、ランプの球切れが原因であることがわかった。操縦室内でランプの交換作業に乗員が集中している間、機長が何かの拍子に操縦輪に触れてしまった。401便は自動操縦で飛行していたが、操縦輪が動かされたことにより自動操縦装置が解除され、引き続き押された操縦輪により機体が降下を始めた。しかし乗員はランプの交換に気を取られてそのことに気づかなかった。

乗員が機体の異常に気づいたのは地上から数十メートルの地点で、機体を復興させるには手遅れだった。ロッキードトライスターはマイアミ国際空港付近のエバーグレース国立公園の湿地帯に墜落大破した。湿地帯やシートのマウントが幸いして、機体の損傷の割には生存者の数が多かった。しかし湿地帯におけるワニの生息やジェット燃料の流出などで乗員乗客の救出は困難を極めた。客室乗務員がクリスマスキャロルを歌って乗客を落ち着かせたのが、救助に一役買ったという逸話が残っている。

この事故では、機長のミスで自動操縦装置が解除されたことが悲劇の発端になったが、事故調査の過程で自動操縦装置の解除音や高度の異常を知らせる警報が操縦室で鳴り響いていたことが判明した。乗員はランプの交換に気をとられていて、警報音に全く反応しなかったわけである。

乗員に異常を知らせるランプの球切れ、そして引き続く異常に気づかせるための警報音を認識しなくなった乗員の意識状態が最新鋭のロッキードL1011を墜落に至らしめた原因となったことは真に皮肉である。

悲劇と生還 航空事故から見る世界

人間は乗り物を発明したと同時に、事故をも発明しました。死のリスクを背負い到達しようとしている境地は何なのか。生命現象と意識の謎を追求する中で、過去の航空機事故から人間と世界の矛盾を俯瞰し、安全への追求で見えてくる未来を考察してゆきたいと思います。

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