乗客のロザリオが語るもの

昭和41年2月4日の全日空機羽田沖墜落事故の事故機にクリスチャンの夫婦が搭乗していた。ふたりはロザリオを腕にしたまま事故機と共に海底に沈んだ。クリスチャンがロザリオを腕にかけるとはどんな状況だったのだろうか。事故機が突然墜落したのではなく、何らかの予兆があったためにこの夫婦がとっさにロザリオを腕にかけたのではないだろうか。

この事故を調査した、当時の運輸省事故調査委員会はパイロットミスをにおわせるような曖昧な記述のまま原因不明のまま事故調査を終えている。事故調査委員のひとりであった故山名正夫東大教授は、木村秀政委員長の方針に意義をとなえて委員会を辞任した。

山名教授は事故を起こしたボーイング727の欠陥説をとなえ、同機の日本導入を推進した事故の利害関係者の木村委員長と対立したのだ。山名教授はエンジンを機体にマウントするコーンボルトの破壊で1基のエンジンが脱落し、さらに機体の仰角が異常に大きくなることで機内に一過性の火が走ったと推測した。そうするとクリスチャンの夫婦が事前に墜落の予兆に気づいていたことと符号するのだ。

えてして日本の航空事故調査はこうした乗客乗員が無言で語る事実や目撃証言を軽んじる傾向がある。しかし、一見小さな事象に見える発見が事故原因を解明する大きな鍵を握ることがあるのである。

悲劇と生還 航空事故から見る世界

人間は乗り物を発明したと同時に、事故をも発明しました。死のリスクを背負い到達しようとしている境地は何なのか。生命現象と意識の謎を追求する中で、過去の航空機事故から人間と世界の矛盾を俯瞰し、安全への追求で見えてくる未来を考察してゆきたいと思います。

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